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tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

「誰でもよかった」という殺人を生む社会とは

2018年06月10日 11時14分39秒 | 社会
「誰でもよかった」という殺人を生む社会とは
 6月8日、秋葉原での歩行者天国無差別殺傷事件から10年という事でした。あの時は偶々総武線から秋葉原の大通りの只ならぬ混乱状態を見掛け、何事かと思っていましたが、後からあの大事件を知って驚いたことを思い出します。

 そして昨日は、新幹線の中での無差別殺傷事件です。何か空恐ろしい世の中です。
 空恐ろしいというのは、数々の通り魔事件なども含め、捕まった犯人が「相手はだれでもよかった」と発言していることです。

 「誰でもいいから人を殺す」、そんなことが人間に出来るとは思われないのですが、現実に起きていて、この所、犯人が逮捕され、「誰でもよかった」と発言する報道を見聞きする機会が、何となく多くなっているような気がするのです。

 人を殺傷するような事件は、もともと理不尽なものですが、そうした中でも「誰でもよかった」というのは、通常の理不尽を越えた理不尽のように感じます。

 それぞれの事件にはそれぞれの背景があり、それぞれの特異な事情があるのかもしれませんが、報道で、「誰でもよかった」という言葉を聞くたびに、やっぱり社会が病んでいるのではないかといった感じを持ってしまいます。

 今の社会体制のどこかに、何かボタンの掛け違いがあるように思われてなりません。格差の拡大、人と人との関係の希薄化などななど、社会の劣化が進むこととも関係があるのではないでしょうか。

 安心・安全を標榜する安倍政権も、カジノなどに力を入れるより、こうした社会の安全を脅かすような問題への抜本対策、人に優しい良質な社会の構築を目指す政策を優先してほしいと思うところです。

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1 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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>「誰でもよかった」という殺人を生む社会とは (ゼータ雁駄無)
2018-06-10 11:38:20
考えられる原因

・本当の敵が見えないようにステルス化されているので攻撃しようがない
・自分で敵が特定出来ないほど白痴化されてしまっているバカ者
・飼いならされていて普段は飼い主への敵意を意識した事がないが、突然の不満に敵意を飼い主に向けられずその他へ向け発散してしまう奴隷

など。
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